今村夏子『星の子』

「うそいわないで」
「うそじゃない。容器の裏引っくり返して見てみろ。おれのサインが入ってるのは中身全部水道水だ」
 母が段ボールの中から一本取りだし、容器を逆さにすると、そこにはマジックで大きくゆ(まるに囲まれたゆ、引用者)と書いてあった。
「帰れーっ!」
 父が悲鳴のような声を上げた。そのときはじめて父の怒鳴る姿を見た。顔も目も真っ赤になって、わたしは父が大声で泣きだすのではないかと思った。

落合さん夫婦の耳に入らないわけがない。知らないわけないのだ自分の息子がしゃべれることを。そしてひろゆきくんも、自分の親が知らないわけがないことを知っている――。
 ふすまの向こうで、父と母がささやくような小さな声でお祈りのことばを唱えはじめた。

信仰の一つの在り方を精密に描けているように感じられる。つまり、醒めた目で、本当にはそうではないと知っていながら、心の底からそうであると信じているような。信じたいけど信じられないとか、表面上信じているとか、そういうのではなく、相反する視線が同時に向けられるような、そんな心理の在り方。そしてこれは、信仰だけの話ではない。主人公と高校生の姉まーちゃんが、「好きな子」についてこんな会話をする。

「どんな子?」
 当時はエドワード・ファーロングへの熱も冷めて、秋山くんのことを好きだった。
「背が高くて、サッカーがうまくて、歌がうまくて、さか立ちができる人」
「へーかっこいいね」
「まーちゃんは」
「いるよ」
「どんな人」
「背が低くてサッカーできなくて歌がへたくそで、さか立ちもできない最低の人」

 「最低な人」——まーちゃんは、おそらく、彼が最低の人だと、醒めた目で見ながら同時に、愛してもいるのではないか。信仰や恋愛は、かくも不確実で儚く、しかし、このような心理の在り方はおそらく、人の生に欠かせないものなのだろう。

追記:
この小説は、先生の話のシーンが巧みだ。だらだらと書かれた鍵括弧を読み飛ばそうとすると、生徒である主人公と同時に、話を聞けと先生に叱られる構造になっている。これはうまい。
あと、帯のあおり文なんかは結構暗い感じなのだが、なかなか明るく気持ちのいい小説だと、私には感じられる。

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