私たちは、この点と線に共感できる。

映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』、お子様と親子に囲まれて見てきた。普通に泣けたし、周りの子や親が泣いているということ、人間が絵やぬいぐるみに共感して優しさを、愛を差し出せるということに泣けた。

ネタバレをしてしまえば、絵本の世界に入った「すみっコたち」が、絵本に描かれたキャラクターたちと交流し、その中に白紙のページにポツンと「落書き」されたキャラクターがいて、そのキャラクターを絵本の外に連れ出そうとするが、絵本の外に絵本に描かれたキャラクターは出られない。その「落書き」の孤独に涙した「すみっコたち」は、その白紙のページに家や仲間たちを描く……というようなストーリー。

この映画の「落書き」に共感して優しさや愛を差し出す「すみっコたち」の在り方と、「すみっコたち」に共感して優しさや愛を差し出す(最近は「すみっコ」を発見して世話をするゲームもあるらしい。欲しい)ことのできる私たちの在り方が重なるという意味でメタ的な構造をもった映画であったわけだ。作中では「マッチ売りの少女」「人魚姫」「赤ずきん」等々、幼い頃に読んだ物語が引用されていたが、今思えば、あれらの悲惨な物語もまた、子供たちの共感能力を育み得るものであろう。人間は奇妙にも、子供にキャラクターへの共感を期待するようである。

私が泣いたのはそこであった。

さらに言えば、すみっコぐらしのキャラクターはそもそも「落書き」から生まれている(「すみっコぐらし原点は落書き かわいそうなかわいさ共感」)。
制作の裏話を知っている私たち「すみっコぐらし」ファンには、その二重性もまた泣けた。

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