とにかく金がなく「New arrivals」も何もあったものではない。そして精神状態が悪くろくに本も読めない。積読から読める本を探し出し読んでは投げる日々である。

積読から『プレーンソング』を読んだ。金に余裕のある社会人と金のない学生ではない二十代の青春。学生の青春がきつくなってきた僕には良かった。積読から「春昼」を読んだ。読めない。しかし泉鏡花の偉大さはわかる。積読から村田喜代子『名文を書かない文章講座』を読み始めた。最近は一月に修論、三月に小説を一つ書き上げた以外には何も書けず(インプットが少ないというのも大きいが)読んでもやはり書けそうにないのだが、しかし最初の数ページを読んだだけでこうしてブログ記事を書いているのだから効果があったと言うべきか。

そういえば村田の本もそうだが、ここ一、二ヶ月は書くことについての本を続けて読んでいて、ほとんど読み直しなのだが、高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』宮原昭夫『書く人はここで躓く!』村上春樹『職業としての小説家』レイモンド・カーヴァー「書くことについて」(『ファイアズ(炎)』所収)スティーヴン・キング『書くことについて』などを読んだ。

いつか書くことについて書く人々がどう書いているかまとめてみたいものだが、響くのは保坂、春樹、キングの本で、共通するのは一日何時間何枚書くかを明確に示しているところである。書き方とは、つまるところ一日何時間何枚書くかに尽きる。しかし三月に一作書き上げたのは高橋の本のおかげだったかもしれない。高橋の本もなかなか抽象的なのだが、なぜか書いてみようという気にさせる。『一億三千万人のための小説教室』は高橋の小説よりも好きな本となった。

春樹とキングの本は自叙伝めいたところがあり作家のファンとしても楽しめる。小説を書くことについては、高橋と保坂の本が良い。この二冊に共通するのは、抽象的であることだ。宮原の本や他のハウツー本には具体的なテクニック(キャラクターについて、ストーリーについて)が書かれていたりするのだが、そういうものはあまり役に立たない(小説を書きたい人間は、実践できるかはさておき、それくらいのことは知ってしまっている)。カーヴァーの「書くことについて」は短いエッセイだが、作家についての名文があるので引用しておく。

たとえ阿呆のように見えるとしても、作家というものはときにはぼうっと立ちすくんで何かに——それは夕日かもしれないし、あるいは古靴かもしれない——見とれることができるようでなくてはならない。

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