雑誌「映画芸術」2015年ベストテン1位、は出来レースという感じもしなくもないと思っていたのだが、観てみたら大変良かった。

タイトルは「この国の空」だが、とにかく空が映らない。正確には数えていないが、爆撃機の群れを見上げるシーン、田舎で見上げる空、空爆された方角の空など、片手で数えられる程度にしか、空が映らない。舞台は天井の低い狭い日本家屋、それのひしめく東京の街なのだ。地平線などもほとんど映らない、空間の狭さに加え、空爆に備えて窓ガラスに貼られる紙、灯りの覆いが、閉塞感を高める。防空壕も象徴的だ。窓を開ければ聞こえる道路からの声、「灯りが漏れているぞ」という忠告も象徴的だ。とにかく窮屈な映画なのである。

そしてこの窮屈さは、官能的窮屈さである。私はこの説明し難い官能的窮屈さを小川洋子的だと思っている。例えば、アンネ・フランクの取材を背景に匂わせる「密やかな結晶」に感じられるものと、同質の、エロさなのだ。

ヒロイン/二階堂ふみは、その窮屈さの中で蠢いている。狭い部屋の中でゴロゴロと転がりまわり、きつそうな洋服の中に女の体を隠して出さない。そんな彼女に風を吹きかけ、広さを感じさせるのは、爆撃であり、田舎であり、隣人の男なのだ(爆風、男の家の窓を開ければ風が吹き込み、彼女は一番星を見つける、その空は映されないが)。

圧巻なのは、ヒロインの母によって男の性的な目線が語られた後に、二階堂ふみの映るあらゆる画がセクシャルに見えてくることである。二階堂ふみの演技と存在感、撮り手の技術の賜物だろう。

彼女はやがて隣人の男に体を許すが、その直後、戦争はもう終わると、当の男が知らせる。それは隣人の男の妻と子が戻ってくることを意味する。戦争の終わりは窮屈さの打破であると同時に、また別の窮屈さ――隣人との逢瀬の難しさという窮屈さを引き寄せるのである。そして彼女は、「私の戦争が始まるのだ」と思うことになる。

単純に戦時下の描き方、その窮屈さの描き方が見事である。そしてその官能、不謹慎といえば不謹慎なのだろうが、多くの作家の書いたところでもある戦時下の、爆撃にさらされる中での官能を演じきった二階堂ふみ、撮りきった監督らによる、傑作である。

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