ただただダークな映画である。”悪い”人々が勝ち、”善い”人々は救われない――いや、この映画を善い/悪いの枠組みで捉えるべきではないだろう。『水の声を聞く』の物語を動かす二項対立は真/偽、本物と偽物である。ヒロインである在日(二世)韓国人の女性は新興宗教の特別な力のない「巫女」であり、偽物である。それが様々な葛藤を経て本物になろうというとき、偽物の教団の内部で偽物の巫女が表れ、彼女の代わりを務める。やがて彼女は戻ってきて、教団を本物に近づけていこうとするが、利潤を追求する勢力によって邪魔者扱いされ、ついには偽物として排除されてしまう。彼女の祈りは、混じっていた偽の信者の大きな声にかきけされる。偽物として排除された彼女はレイプされ、ルーツであるチェジュ島へと帰る――。
 ダークな映画である。この映画において、思いは、祈りは何の役にも立たない。「純粋」な思いはすべて踏みにじられ、真/偽の渦巻きの中に溶けていく。救いがあるとすれば、それは半島風の色彩の鮮やかな美しさと、玄里演じるヒロインの透明な美しさであるが、その救いとは観る者に対する救いでしかない。
 ところで……この真/偽の二項対立は、いやこの二項対立は『水の声を聞く』においては太極図のごとく、絶えず混じり合い、食い合っているのだが、どこか日本人と在日外国人の関係にオーバーラップする。より正確に言えば、真の「日本人」、純粋な「日本人」を志向し、偽を排除しようとする人々や、「日本人」の中で偽でありながらたくましく生き抜く人々。そして、真偽は永遠に混じり合い、切り離されることはない。

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