期待していた程おもしろくなかった。というのも僕は『アンナプルナ南壁 7400mの男たち』というタイトルを見て素直にアンナプルナの雄大な姿を期待していたのだ。しかしこの映画は主役はアンナプルナではなく、人間たちである。
 だからこの放題は、正直微妙なんじゃないかという気がする。原題は『pura vida/the ridge』で、(文化的奥行きを無視して)あえて直訳すれば純粋な人生/山の尾根、分水嶺といったところ。「男たち」って女もいるんですけど……なんてことはもう何十年も昔の観客でさえ指摘できるはずだし、生と死の「分水嶺」は作中で語られる重要なテーマなのだからそれを落としてしまうのはどうなんだろうという気がする。そしてなにより、サブタイトルに「7400mの男たち」を持ってきたからかろうじてセーフか……といった感じなのだが、この映画の主役は雄大な「アンナプルナ南壁」などではなく山に登ってしまうちっちゃな人間たちの人生・その複数の人生の交錯である、ということが、この邦題からは、伝わってこない。
 映画の中心は「アンナプルナ南壁」で遭難した登山家イナキにある。しかしそれはほとんど不在の中心であって、カメラに映され語るのは彼を救うべく奔走するクライマーたちである。彼らがインタビューに答える背景の場所はアメリカの荒野、ロンドン、カトマンズまで幅広く、彼らが国籍も職業も違う人々であることが強調される。しかし、ただ登山という一点で彼らは繋がっており、助けあう。
 また、自然はあくまで背景だ。もちろんアンナプルナは映し出されるが、それはそこに登る人々の背景としてであり、カメラはそこを登る点のように小さな人間たちにクローズアップされる。
 彼らは「なぜ助けに向かったのか?」「なぜ山に登るのか?」といった問いに対し、それぞれの人生哲学を語る。そして、それらは一人一人独自のものであり、決して同じ思想を持った者たち、というわけではない。それはイナキも同様で、最後に語られる彼の思想もまた、他の者たちと同じものであるわけではない。しかし、それら様々な思想に共通項があるとすれば、それらが「pura」純粋さとでも呼ぶべき価値を認めていることである。そして、それら様々な人生=「pura vida」は同じ「山」、生と死の「分水嶺」=「the ridge」で交錯する。原題の「/」は、冠詞付きの「分水嶺」と複数の人間たちの「人生」の間に引かれている。「pura vida」と、背景としての「the ridge」。
 だから「アンナプルナ」を、雄大な自然というようなものを求めて観にいった私はなかなか楽しむことができなかった。この映画の主役は複数の小さな人間たち、その人生なのだから。その点、実に西洋的な映画である、と簡単に言ってしまうのもどうかとは思うが、自然はここでは背景でしかない。

 しかし山に登りたくなった。誰か連れて行ってください。

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