範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』、東京芸術劇場シアターイーストで、観て来ましたので感想のメモを適当に。

 良い。センスの良いユーモアと、鋭さ。僕の読み取れた限りの本作の持つテーマに目新しさはそれほどないかもしれないが、見せ方はかなり洗練されていた。

 ストーリーをざっくり説明すると、ある日超新星爆発が起こり、それから雨が振り続け洪水が起き、それから放射能的なものによって人々の体が蝕まれ、「みんなしんで」しまうというもの。ストーリーだけを見てもわかるが、かなり露骨に3.11以後状況の影響下にある。冒頭、スクリーンに映し出される言葉は「みんなしんでしまった」だ。何度も繰り返される言葉に「昔からこうだったっけ」「いつからこうなった」といったものがある。これらは、自販機でふりかけを売っていたり、豚汁にパイナップルが入っていたり、動物が列に並んだりする状況について発せられる台詞であるが、しかし、それらは多く自問の形であり、また、終盤、死の間際まで、他者と共有されることはない。違和感を抱きつつ、おそらく「空気」を読んで、登場人物たちの一部はそれを受け入れる(昔からふりかけを売っていた、パイナップルの入った豚汁もおいしい、という風に)。また、鉄という男は、その変化を「鬼」のせいだと言う。こうした陰謀論的な妄想や、変化を感じつつ同調圧力のようなものによってそれを口にはしない(できない)という状況は、3.11以後の状況を寓意しているようにも見える。

 「うまれてないからまだしねない」は、英訳では「I can’t die without being born.」となっていて、「わたしはうまれてないからしねない」、というのがまあ本来的な意味なのだとは思うのだが、しかし日本語の「うまれてないからまだしねない」では、(子供が)まだ生まれてきていないから死ねない、というような意味とも読むことができる。特にラストのゴキブリの行動は、まさに後者の意味によるものだろう。「どうせ死ぬ命を、どうして生むんだろう」といった問いが物語中でなされる。その解答として、「うまれてないからまだしねない」という言葉があったように僕は思う。どうせ死ぬが、死ぬためには生まれなければならないし、死なせるために生まなければならないのだ。後者の意味、生まれてきていない者を、「どうせ死ぬ」のに、まさにそのために生むことは、まだ生まれていない者に対する、生む者の責任であろう。

 ところで、考えていることがスクリーンに映し出されている男。それは物語内容においても「スクリーンに映し出されている」ということになっていて、彼はそれを他の男に指摘され、「ここは地獄だ」と叫ぶ。彼はその後、「日本のために」死ぬ鉄という名の男に、「何も考えるな」と言われ、最終的には戦車にぶつかって死ぬのだが、考えがスクリーンに映し出されるというのは、ツイッターなんかを想起させる。彼は「流される方が楽だ」とも言っています。「日本男児」「日本のために」といった言葉を用い、陰謀論的な妄想に取り憑かれ、表では人のよいと評判だが、裏では理不尽な要求をする鉄と、彼に従い、ついには死ぬことになる男の構図は、現代日本に重ねることができなくもない。日本、も本作では明確にテーマにされている。作中に唯一出てくる日付はミサという人物の誕生日である8月15日であり、その母親の死ぬ8月14日である。彼女たちを大日本帝国/日本国のメタファーと考えるのはあまりに安易だし、厳しい。しかし少なくとも、この国のことが何らかの形で作中に書き込まれているのは確かである。

 作中に出てくる「近くにいたんだ」という台詞が印象的である。ゲームをいっしょにプレイできる友人を求めていたオタク的な男が、階下の女性に「私とやったらきっと楽しいよ?」と言われた後の台詞で、非常に感動的な場面であると同時に、SNSなどで遠くの人間と関われる一方、近くの者と交流できない現状を思わせる。しかしまた、「私たち、他人のままでいいじゃないですか」という台詞もある。繋がらなすぎ、繋がりすぎ(という言葉はおそらく安易に使える言葉ではないんだろうけど)の人間関係について考えさせられたり。

 椎橋綾那、Qでも見た女優だが、相変わらず良かった。良い女優。

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