4865060626 東京女子流写真集「5つ数えれば君の夢」

 山戸結希監督、東京女子流主演の映画『5つ数えれば君の夢』。東京女子流が最大の目当てだったわけですが、監督の山戸結希がサブカル界隈で話題になってた気もしたので、観に行きましたので軽く感想を。

 ストーリーは、まあ女子校のミスコンを軸にした青春もので、もちろんそれぞれが悩みや問題を抱えている。美人だがクラスで浮いている、いじめの対象となっている不思議ちゃん新井ひとみ(役名があるのですが、覚えてないので名前で呼びます…)と、劇中で親しくなることになる園芸部のおとなしい女の子山邊未夢が主人公サイドであり、ミスコンで新井ひとみのライバルとなる庄司芽生(劇中で処女を失う(ことが暗示される)!)、彼女に百合的な感情を抱いている小西彩乃が敵サイド、兄に憧れよりも強い(「なんでお嫁さんにしてくれないの?」)感情を抱いたり、女であることにジェンダー的悩みを抱えたりしている中江友梨が委員長でその外側にいる、という感じになっています。一応五人が主人公ということになっていますが、やはり新井ひとみが中心ですね(アイドルグループ内のヒエラルキー……)。

 映像での表現、例えば花を散らしての色彩とか、プールに飛び込む新井ひとみとか、絵作りがすばらしい。首元の絆創膏でセックスを暗示させる(変態的でとても良い!)など、芸も細かい。変態的、と言えば、女子流メンバーの顔のどアップや、濡れた新井ひとみのダンスなんかもなかなかフェティッシュ。山戸結希、たぶん変態です(誉めてる)。

 しかし、好意的な評論家たちには「哲学的」と表される山戸結希の特色らしい台詞が、どうにもキツい。最初は中二病をリアルに再現しているのかと思いましたが、中二病よりもひどく、中学生が下手に本を読んで覚えたばかりの言葉を使っているような(別に悪いことじゃないですけど…)、そんな台詞回し。今作のプログラムの中で中森明夫は、彼は優秀なライターで褒める天才ですから、これらの台詞の不自然さを、女子校の不自然さ、アイドルの不自然さに結びつけたりする(そしてそれを夢と呼ぶ)わけですが。しかし、これらの台詞は決して哲学的ではない。

 ところで、小西彩乃の顔のアップで、彼女が庄司芽生への愛を語るシーンがありましたが、元々あぁちゃん推しというのは置いておいても、そのシーンが僕は一番好きでした。そこで彼女はほとんど他の場面と同じような表情で、ほとんど同じように棒読みで、狂おしい愛の言葉を吐き続けるのですが、それが結果的に狂気の演出としてすばらしいものになっている、というか。

 狂気、というのはこの映画から強く感じられたものです。誤解を恐れずに言えばそもそも、同性愛も、近親相姦的愛も、狂気とみなされてきた歴史があります。アイドル主体の映画となると、おそらくエンターテイメントに走るのがベタで、その場合こういう危ないモチーフってなかなか扱われないと思うのですが、しかし、本作は扱う。それも、決して処女性を重んじるファンへの配慮ではない(庄司芽生の処女喪失!)。ここらへんで、さっきの中森明夫の「不自然さ」への接続が思い出されます。多様な愛のあり方を相対的に描くことによって、異性愛が禁じられるというアイドルの異常な状況への批評性が生じるのです。スクリーンの中で「不自然」な彼女たちは、そもそも普段から「不自然」な状況にあるのではないか?(そもそも「少女」の「不自然さ」(大塚英志『少女民俗学』や上野千鶴子)にまでは、ここでは踏み込まないが……)

 好意的な評者には「哲学的」と言われる台詞。それらは日常会話の中で発せられるほど世俗的な言葉でないのは確かだが、しかし哲学の中で語られる論理的な言葉でもない。聞いていると恥ずかしくなる(言うのも恥ずかしいはずだが、少女にはそうでもないのだろうか?)、浮き上がった、J-POPの歌詞のような言葉だ。そうした、本来語られる場を持たない言葉が、東京女子流の少女たちの口から日常的語り口で発せられていることに、僕はキツさを覚えたわけですが、J-POPを舞台とする彼女たちにはしかし、そういう言葉がもっともふさわしいのかもしれない、と考えることもできます。僕は山戸結希の前、前々の作品を観ていませんが、彼女の書くこうした台詞は、まさにアイドルのための、あるいは日常からも学問からも浮き上がる、舞台に立つ人間の台詞なのだ、と言えるのかもしれません。

 とまあ雑に変なことを考えましたが、まとめると、女子流とてもかわいかった……。僕はあぁちゃん推しでしたが、新たに庄司芽生の魅力に気付かされました。チェックしておこうと思います。

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