B00C9VMFOM きいろいゾウ [DVD]
メディアファクトリー 2013-08-02

 妻・宮崎あおい、夫・向井理。朝ドラ的な配役である。『純情きらり』のヒロイン宮崎あおいの持っていた離婚騒動以前の圧倒的な「清純」イメージは往年の、そして今なお多数のCM出演の数からも認められるし、向井理もまた『ゲゲゲの女房』のヒロインの夫役のイメージが強い今をときめくさわやかイケメン俳優である。この朝ドラ的夫婦の物語である「きいろいゾウ」は、しかし、エロい。男と女、生と死のエロティシズムの世界。とりあえずの主題は「それぞれが違った問題を抱えて生きている、ラブラブでも隔たりがある」であるだろうが。前田有一の言葉だと「要するにこの映画の言いたいことは、過去やら秘密やらはやっかいものだが二人で頑張って乗り越えた先にはいいものがあるかもよ」。

「じっさい、宮崎演じるこのヒロインは、悩んだときに相談する相手もちょっとおかしい。普通は合コン仲間の男友達とか、優しい元カレとかそんなところだと思うが、彼女の場合は庭に植わったソテツである。世間ひろしといえども、ソテツと人生相談する女がそう大勢いるとは思えない。私が夫なら、ソテツよりも精神科医の前に連れていくと思うが、この映画ではこうした彼女の行動を、かわいらしいアニメ交じりのメルヘンとして描く。」

「当然、人間の感情を深く考察するようなドラマは望むべくもなく、感性で理解する女性向けのライトな作品である。人間を描く力のある廣木隆一監督でなければ、散々な出来になっていた可能性は高いだろう。彼の絵作りが重厚だから見られるが、それでもしょせんはお気楽オンナノコドラマの範疇である。」

 おそらく人気のウェブサイト「超映画批評」に載せられた本作に対する前田有一の批評文である。彼の批評については、概ね同意で、プロットの甘さ、展開の陳腐さと筋書きの怪しさは私もとても気になった。しかし、ジェンダー論は苦手なのでどのように叩けばいいのかわからないのだが、とりあえず、彼の言う「私が夫なら、ソテツよりも精神科医の前に連れていく」「感性で理解する女性向け」は少し考えなければならないのではないか。

 この映画においては、いわゆる「女性的なもの」と「男性的なもの」が執拗に、おそらく意識して描きこまれている。感性と論理、自然と文明。いわゆる精神病的な描かれ方をされるツマとセイカさんという二人の女性と、保護者としてのムコ、アレチさん。自然と会話し、日記には植物や羽を貼り付けるツマと、文字を書く夫。
 こうした固定されたジェンダー観を批判するだけなら慣れてる人間には簡単であるし、違和感なく見れちゃう方なら前田有一的な感想文を書くのだろう。しかしこの映画だと、こうしたジェンダー観でいこう、という方針がしっかりしているので、このジェンダー観をふまえて、その先で観ていくのがおもしろいのではないかと思う。
 男/女に対するこだわりは、単純に原作どおりというのもあるのでしょうけど、「ツマ」と「ムコ」という名前(あだ名)からも読み取れる。例えば作中に出てくる「洋子/ジェニー」は、見てのとおりまったく匿名的でない名前で、それが物語的にも重要になるのだが、「ツマ」と「ムコ」だけは匿名的な名で呼ばれる。二人は妻一般と婿一般の象徴なのである。
なぜこれほど、つまりもはや使い回しとさえ言えるような古いジェンダー観にのっとったモチーフを描きこんでまで、男と女が強調されなければならなかったのか。「エロ」のためである、と私は思う。
 
 この映画はエロい。そして、エロの観点で見るととても興味深い。
 まず冒頭の、ツマの全裸疾走。「開始1秒で宮崎あおいの全裸走りがみられる史上初の映画」と前田有一が言うのだからそうなのであろうが、しかし、このシーンはエロくない。主観的な判断になってしまうが、おそらく多くの方がエロくないと感じるのではないか。「もしもエロティックな行為に、侵犯の要素、さらには侵犯を成り立たせている暴力の要素が欠如しているならば、エロティックな行為は絶頂に達するのがますます困難になる」と『エロティシズム』の中でバタイユは言う。すなわち、禁止に対する侵犯という要素がなければエロくないのだ。
 しかし、夜のツマとムコのセックスはエロい。おそらくこのエロさは朝ドラ的俳優陣の演じる朝ドラ的なシーンと並べられることでより際立っている。エロくないセックスシーンというものはなかなか見られないのだが、この映画におけるセックスの場面は、昼間のシーンでのにこにことした典型的仲睦まじい夫婦イメージとのギャップだけでなく、結婚生活の中のセックスというよりは貪るような恋人どうしのセックスとして、ある程度意識的にエロく描かれているように思う。なぜかを考えると難しいが、あるいは二人共に円満な家庭生活への障害となるものを抱えていることがあるのかもしれない。そうした後ろめたさのようなものを抱えていることが、二人にエロいセックスをさせているのではないか。
 他にも、眠っているツマのもとへ少年のやってくるシーンは、多くのタブーを孕んだエロシーンであるし、ムコが不倫相手に裸の背中を見せつけるシーンも、その場に不倫相手の旦那がいるという倒錯っぷりである。この映画を観るなら、楽しむべきはドラマではなくエロなのである。

以前に書いた「きいろいゾウ」に関する覚書はこちら

タグ:. カテゴリー:感想・批評・レビュー,映画・アニメ・ドラマ.
コメント:無し

« »