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映画『きいろいゾウ』公式サイト

宮崎あおい! ということで観てきました。向井理がエロかった。宮崎あおいは初っ端からヌードで走り回っていて、おぉ…って感じだったのですが、良かったです。以下メモみたいな感想。

基本的に宮崎あおい演じるツマと、向井理演じるムコの物語ですが、むしろそれぞれが違った問題を抱えて生きている、ラブラブでも隔たりがある、というのがポイントだったのかもしれませんね。ツマはものすごく「女性的」に、ムコはものすごく「男性的」に描かれているのがおもしろい。例えばツマは精神病者っぽく描かれるし、日記には文字は書かず葉っぱや鳥の羽を貼り付けるだけ。ムコは作家であり、ツマの保護者であり、日記には文字を書く。近所の老人アレチさんの妻、セイカさんも痴呆症でかつ雨との関係が深かったりと、女性=自然という昔ながらの見方や精神病は女性のもの、みたいな言説を思い出す設定になっています。政治的にどうと言うよりは、きっと敢えてですし、生と死というテーマもあって、むしろエロティシズム的な映画だったのでは、と思いました。確かにこの映画はエロい。日の下の日常の宮崎あおいと向井理からは朝ドラのごとくエロの気配がないのに、夜の二人のセックスは最高にエロい。結婚生活の中のセックスとは思えないエロさ(世の夫婦がどんなセックスをするのか僕は知りませんが…)。深いこと考えなくても、ストーリーに不満があっても、単純にエロが美しいという点でこの映画には観る価値があったなと思いました。宮崎あおいは小学生くらいの頃にも裸で映画に出てて、それと比べて成長したなぁ……という楽しみ方もできますよ! あと宮崎あおいの病みっぷりメンヘラっぷり(演技ね)はすばらしいものがあるのでメンヘラを目指している諸君は参考にすればいいと思います。

生と死について。動物や虫や植物と会話できるというツマには過剰に「生」があり、「ナイ姉ちゃん」「足利さん」の影を背負うムコには過剰に「死」があったということなのでは、と僕は読んだのですが、そううまく二項対立にはなっていない。画家との会話の中で、なんとムコはツマとの結婚を決めた時点で死から羽ばたけていた、と語られる。これがほんと不思議で、「お前ナイ姉ちゃんの死めっちゃ引きずってたやん!」って感じなのですが、何か見落としたかもしれません。ここまで矛盾してるとなると、僕の頭の方が怪しい気がしてくる。映画はすぐに見返せないのがほんとアレですよね。
ツマはいつのまにか動植物の声を聞かなくなります。あるいは過剰な「生」が取り払われるという一種の解決だったのかもしれません。わからない。

月について。満月はけっこう重要な何かの象徴になっていると思うのです。タイトルの「きいろいゾウ」に大きく関わるものですからね。ツマの生理が満月といっしょにやってくる、心も体も月に支配されている、というのは、まあとてもベタな設定で最近読んだ本だと村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の妻もそんな設定だった気がするのですが、まあそれはいいとして、この映画の中で月とは何であったのか。
本作中では月は、「欠ける」ことが良いことであるように言われます。ツマが満月を怖れ(畏れ?)ているからです。しかし、アニメーションで描かれる「きいろいゾウ」においては、満月は願いを叶えてくれる存在ですし、ツマも最後には満月に願い事をします。そして叶います。そして一件落着のハッピーエンド。月、基本的に良いものだが怖れ(畏れ)るべきもの、みたいな感じなのですかね。それだとやはり、生理のようなものなのかもしれない。でも、それだけ?

あと、ツマとムコ、という匿名的な名前も少し気になりますよね。ツマとムコというのは二人それぞれの苗字から取った呼び名なのですが、洋子(ジェニー)については、名前が意味を持つのに、なぜツマとムコはツマとムコなのだろう。 ジェンダーを強調したかったのですかね。

なんかテンションの高い感想ですね……。以上でした。実はちょっとプロットの甘い映画だった可能性もあるなぁと思ったりもしましたが……何か閃いたらもう少しちゃんとした文章を書きたいものです。原作も読んでみたりしたいものです。けっこう違う気がするので。

きいろいゾウ (小学館文庫) きいろいゾウ (小学館文庫)
西 加奈子

しずく (光文社文庫) さくら (小学館文庫) 絵本 きいろいゾウ 通天閣 (ちくま文庫) あおい (小学館文庫)

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