サークルで発表したものです。長いので最初の方だけ載せて、残りはPDFで読んでいただければ……と思います。村田喜代子「鍋の中」論.pdf

村田喜代子「鍋の中」論

《底本》
村田喜代子『八つの小鍋―村田喜代子傑作短篇集』より「鍋の中」(文春文庫)

《作者・作品紹介》
 村田喜代子
1986年同人誌掲載の「熱愛」が『文學界』に転載され第95回芥川賞候補。続けて「盟友」(『文學界』9月号) が第96回芥川賞候補。1987年「鍋の中」で第97回芥川賞を受賞。 やや怪奇味を帯びた作風だが、『龍秘御天歌』ではリアリズムに転じた。「鍋の中」は黒澤明が『八月の狂詩曲』として映画化している。現在、泉鏡花文学賞、川端康成文学賞、紫式部文学賞選考委員。
                             (Wikipediaより)
 「鍋の中」
『文藝春秋』(1987年9月号)初出。主に以下のような選評が寄せられている。

・ 黒井千次
「老人と十代の孫達の田舎の暮しを描いた小説なのだが、面白いのは大人の男女が一人も登場してこない点である。」「どこまでが本当でどこからが
嘘か判然としない世界が、大人抜きの鍋の中で煮立てられていく。」
・ 田久保英夫
「自然のうちに血縁という不思議な〈煮鍋〉の光景を現出している。」「不気味さもあり、ユーモアもある。」「祖母の記憶の確かさ不確かさに関係なく、私たちはどんな局面でも、こうした過去と現在と未来のあやしく浸透した〈時間〉を生きているのではないか、と思わされる。」
・ 日野啓三
「“鍋の中”とはいささか地味すぎるイメージだが、それはこの世界(アリや杉たちの自然も含む)と、人間の意識(老女の記憶脱落も含む)の全体の象徴と読んだ。」「快く楽しく読めて、そしてこの世界と意識の不確定さに不気味になる。だがその「宙ぶらりん」さを結論としてではなく出発点として、生きてゆこうとする軽やかなしたたかさが流れている。」
(『芥川賞全集 第十四巻』)

《方針》
 私も、田久保英夫らと同様に、本作から「不気味さ」を感じとった。また、この不気味さは本作の本質に関わるものであるとも感じた。本稿では、この不気味さの正体を明らかにするために、まず本作の「不確かなもの」を考察する。そこから見えてきたものとして、「性」について考察する。そして、「鍋の中」とは何か、さらには本作の全体像を考察する。
 なぜ最初にテーマとして「不確かなもの」を設定するのか。本作に関する先行研究として近現代文学研究者である比治山大学教授・宇野憲治の「村田喜代子「鍋の中」考」という論文があり、本稿においても何度か参照することになるが、その論文では、「「鍋の中」は人生そのものの不可解さを描き出している」という主張がなされている。私の感じた「不気味さ」がこの描き出された人生そのものの不可解さに由来するものであるのならば、それを検討することによって、「不気味さ」の正体もまた明らかになるであろう。そうした仮定をもとにして、人生の不可解さに関わるものとして「不確かなもの」を本作から読みとったので、これを考察の基軸とする。

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