ポツドール「夢の城-Castle of Dreams」作・演出 三浦大輔
2012年11月15日(木)~11月25日(日)
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト 主催:FESTIVAL/TOKYO

「夢の城」観てきましたのでまとまらない感想文的なメモ的な何か。ほんと文章になってない。いつか文章にするかもしれないししないかもしれない→「「夢の城」台詞にならないもの」というつまらない文章を別に書きました。

過激な描写という前情報しかなかったのだが、確かに過激といえば過激だが、わたしには過激というほど刺激的には感じられなくて、むしろ優しい、人間的な暖かさを感じ、落ち着くような気さえした。彼らが裸であったり裸に近かったりするからだろうか? 体温のようなものを感じたのである。

舞台は終始、男女数人が共同生活する汚い部屋で、最初の一幕とラストには客席との間に窓ガラスが置かれる。

部屋で繰り広げられるのはただもう暴力とセックス、排泄、嘔吐である。放り投げられる下着、枕、こぼれる飲食物。敷きっぱなしの布団、グロテスクに飾り付けられた壁。天井には日本の国旗――。繰り返される演技に感じたのは、「あきらめ」である。「どうでもいい感覚」というのも近いかもしれない。彼らは他人の行動を基本的に気にしない。ただ、自分への暴力となったときにはやりかえすが、他のたいていのことは、気にしながらも、文句を言ったりはしない。この劇は無言劇である。この劇で彼らが発するのは生理的な声だけだ。さてこの、自分の我慢できる限り他人に干渉しないというのは、実に日本的ではあるまいか。

日本の東京であることを強く提示する劇である。舞台は「Tokyo, Japan」と明示される。天井には日の丸。テレビからは一度君が代が流れる。右政治的な何かを感じるべきところではないだろう。単に、日本ですよ、といったところだ。この演劇と日本については、パンフレットに寄せられた岩城京子氏の文章がなかなか良くて(上から目線!)、ジジェクを引いて西洋と日本における「死の受容のプロセス」の在り方の違いを語り、また『終わりなき日常を生きろ』を引き若者たちは「まったりと生きる試みのなかで「まったりと腐って」いったのだ」と語っている。もちろんこれだけでなく、さらに深く「夢の城」と三浦大輔を論じている。

しかし、この劇は、単純に日本の「腐った」若者の虚無感を描いただけのものではない。いや、三浦大輔はそう語っているのだが、それ以上のものをわたしは感じ取った。この劇には、確かに希望が描かれている。確かに日常は終わらないのであるが、そこには、希望があるのだ。人間に対する希望である。

観劇中、ある妄想にとらわれ、泣きそうになった。一人の男の「野球」と、一人の女の「ピアノ」。パワフルプロ野球をやり続ける彼は、バットを振る動作をしてみせる。別の女の調理するのを見つめてみたりするその女は、食事中、キーボードを弾く。「エリーゼのために」……彼と彼女が少年と少女であった頃をわたしは妄想した。喪われた野球をすることが可能であり、ピアノを習うことが可能であった頃を妄想し、こみあげるものがあった。女のキーボードをBGMに繰り広げられる食事のシーンは本当に衝撃的なまでに感動的である。

さて、「腐った」彼ら彼女らの生活であるが、本当に絶望的なものだろうか。

終盤、キーボードを弾くのとは別のある女が、泣く。ここにあるのは、本当に「抑鬱的な許容」(岩城京子氏が前出の文章で使っている、日本人の受容の仕方)だろうか? 彼女が泣けたことに、僕は希望を感じざるを得ない。現代の日本人の抱える閉塞感、虚無感のようなものは、確かに否定することはできない。しかし、泣くことは諦めではなくむしろ抵抗である、とわたしは信じている。岩城京子氏は自由資本主義経済における最終的な非人間性の「許容」を至るべき(至るはずの)地点であるとしているが(理論的に)、そう簡単に「許容」できないようなところが、彼女や我々、日本人にもあるのではないか?

この劇は、終わり方もすてきだ。最後の一幕には、再びガラス窓が観客と舞台の部屋を分かつ。部屋は明かりが消えている。終幕を告げる明かりが徐々につけられるとき、ガラス窓に、観客が映る。これは、計算されたものだろうか。どちらでもいい。計算であれば見事、偶然なら奇跡だ。舞台にいたのはわたしたちであったのだ。本当に見事な終わり方である。役者が前に出てきて挨拶、なんてことはしない。舞台の上の「日常」は終わらず、また舞台の上にいたのはこれから日常へと戻っていくわたしたちであったのだから――。

・テレビについて。
おもしろい装置である。映し出されるのは「実況パワフルプロ野球」「アバター」「韓流ドラマ」「ドラゴンボール」「深夜放送」「富士山」「君が代」などなど。「パワプロ」の繰り返される同じようなアナウンスは、喜劇的でありつつもどこか不気味で、物悲しい。
・「夢の城」とは何か。
この劇の正式名称は「夢の城‐Castle of Dreams」である。この「の」「of」であるが、これが問題である。「の」「of」とは曖昧な語だ。「夢の(ような)城」であるかもしれぬし、「夢の(中の)城」であるかもしれない。夢を守る最後の砦、のようなイメージを持てなくもない。

愛の渦 愛の渦
三浦 大輔

人間♥失格 三浦大輔・戯曲集 自慢の息子 三月の5日間 幸せ最高ありがとうマジで! 鈍獣

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