マリリン・ヤーロム『乳房論―乳房をめぐる欲望の社会史

「乳房は誰のものか」という問いのもと、究極の所有者は女性であるという結論をふまえ、乳房の受容のされ方の歴史的な変遷を芸術や医療の記述から追った書。

乳房の価値は時代によっては子を育てられるという点に置かれ、また男性を喜ばせられるという点に置かれ、といったように、文化的社会的なものに過ぎないといったことを基本的に述べているように思う。例えば現代人の一部が言う「貧乳には夢がある」的な価値観も、中世においては上流階級の間では小振りな乳房が好まれたという事例があるように、一種の流行なのである。過去に巨乳派の立場から「貧乳好きは自然に背いている」などと述べた自分が恥ずかしいですね。←こういうこと言うやつはフェミニズムにぼこぼこにされればいいんです。

あと、乳房の商品化の暴露。もともとフェミニズム的な結論がメインだからであろう、近年のフェミニズム的運動の中での乳房の捉えられ方や芸術における乳房表象に関する章はさすがにおもしろい。フロイト以後、セックスが最高の商品として認識されるようになったという記述も興味深かった。

筆者は「大衆が乳房の多くが本当はどのような形をしているかを知るまで乳房は解放されない」と語り、そうした観点からトップレスを好意的に受け止めている、ように読んだ。しかし、トップレスを法で禁止するその背景には根強いものがあるように思う。もちろんそうする権利は認められるべきであると思うのだが、そのために「ミニスカートの無防備な女の子が置痴漢にあうのはしょうがない」ような社会で、「じゃあ脱ぎましょう」と今すぐにブラウスを脱ぎブラジャーを取り払ったところで、おそらく男性たちが喜んで捕まえて終わりじゃないかと思うのである。そこまで折り込んで脱ぐ権利を主張しているのかもしれないが。まあ、女性が乳房を見せつけるだけで終わっちゃいけないなと思います。それで解放されたと思うのはおそらく彼女たちだけでしょう。また、女性だけが変わることも、男性だけが変わることも、ありえないというのは本書を読んで感じました。こうした運動の意義は「女が目覚める」とか「男が変わる」とかにあるのではなく、社会のシステムといった、環境に変更を迫るところにあると思うのです。

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