あまりにつっまんない!
夏、終わったんですかね。僕に関して言えば夏以前にいろいろなものが終わっているのであまり気になりませんね。そういえば先日旅行に行きました。熱海や京都や明石に行きました。明石も京都もおもしろかったが、熱海は何なんですかねぇ(おい)。

「校庭、血、夜。」

 真夏の、肌を突き刺すような日差しを受け、揺れる陽炎を見つめていると、ふと脳裏をよぎる光景がある。
 それはやはりかつてのある夏の日々の校庭であり、それから僕は、教室に差し込む夕日の映し出した肌と血と痣を思い出し、そして、雨の降る夜に浮かんだ煙草の火や、埃と汗のにおいの充満する体育倉庫の中の暗闇で、踏みつけて蹴飛ばしたコンドームの感触や、高跳びのマットの砂でざらざらした手触りや、彼女の濡れた髪を、その体温を、喩えることのできぬ感情と共に思い出す。
 
 ある真夏の正午過ぎ、突き刺すような日差しに目を細めた僕は、影を見、声を聞く――。

 校庭。
 
 ――海野、片山先輩と付き合ってんだろ?
 ――公園でやってんのを見たらしいぜ……。
 ――先輩羨ましいなーやりまくりなんだろーな……。
 ――あいつブサイクじゃん。
 ――でも、やれるならやるだろ?

 蛇口から口を離し、飲み込まなかった水を吐き出す。口内に水道水の鉄のような味がまとわりついている。大きく息をつき、体育着の袖で額の汗を拭く。水と汗で体育着は全体が湿っている。千五百メートルを走り終えた直後だった。いつもよりきつい感じはしなかったけれど、タイムはいつもより悪かった。昨晩、ベッドに入ってからも長く起きていたせいだろう。
 校庭に目をやる。既に男子の全員がゴールしていて、女子が千メートルを走り始めていた。放課後、野球部がキャッチボールをし、サッカー部がドリブルの練習をしている中、陸上部の僕たちはトラックを走る。こんな状況にも誰も文句を言わないくらい、誰も熱意なんてものは持っていなくて、ただ皆が入っているから部活に入り、皆が走っているから走っているのだ。
 先頭を走る部長の女子がカーブを曲がりきり直線に入る頃、カーブを曲がる海野の顔が正面を向いた。彼女の体力なら、まだきつい時間帯ではないはずだけれど、彼女は少し不自然なフォームで走っていて、それに表情も苦しげだった。どこか体の傷を庇っているのかもしれない。彼女は長距離選手で、この部活では部長の次にタイムが良い。真面目に走るような女子が彼女と部長くらいしかいない、ということなのだが。
 僕は女子の中で二番目に早く一周目を終えた彼女を目で追いながら、息を整い終えて座り込んだ部員の男子たちの会話を聞いていた。

 海野と僕は幼なじみだった。小さかった頃、僕は彼女のことが好きだった。中学に入ってからも暫くは、しょうもない会話をして笑い合ったこともあった。

 猛暑が続き、間もなく期末試験という頃、海野の部活に出ない日が続いた。誰も彼女の欠席に触れようとしなかった。彼女の不在は無視されたのだ。部長は何も言わず態度も変えず独りでトラックをぐるぐると周り続け、僕らは相変わらず水飲み場で水を浴び、つまらない会話と妄想と自慰を繰り返した。僕たちは変化を望みながら、日常にしがみついていた。日常をはみ出たものは、すべて無視した。

 ――血。
 
 ――わたしとセックスしたい?
 僕は頷かなかった。声さえ出さなかった。

 差し込む赤い夕日と影の中で、彼女はブラウスのボタンを手際よく外して脱ぎ机の上に乱雑に放り、ブラジャーを引きちぎるように取ってその上に落とし、スカートをすっと下ろして、それから僕の方をちらっと見て、パンツをさっと下ろして、足を抜いて、足でスカートの上に乗せた。僕は彼女の動きを追いながら、しかし彼女の裸にされた身体を見ることはできなかった。
 ――わたし、何度もしたのよ、あいつと。
 彼女の視線に真っ直ぐ応えることのできなかった僕の目は泳ぎ、彼女の胸元に止まった。その膨らみはブラジャーをつけてブラウスを着ている時よりも存在感がなく、彼女の肉体から歪にはみ出てしまった部分のようにさえ感じた。それには青い痣やまだ赤い細かな傷がいくつもあった。
 そうした痣や傷は、彼女の全身に存在していた。僕は彼女の身体を見るのをやめた。
 ――わたし、何度もしたのよ。汚いって思うでしょ。

 ――汚いの。身体中汚されたの。
 ――汚いって思うでしょ。

 服を着ろ、という言葉だけ、僕は何とか絞り出した。彼女がブラウスのボタンを外すのを止められなかった自分を、恥ずかしく感じていた。痣と歯形の生々しく残る乳房を、付け根の切れて血の滲んだ乳首を見てしまった自分が、どうしようもなく恥ずかしかった。
 彼女は一瞬僕を睨んで、すぐに視線を外した。それから彼女は無言のまま、脱いだ時と同じくらいの速さでパンツを穿いた。それからゆっくりと服を身につける動きを僕の目は追った。
 ――弱いね。
 ブラウスをスカートにしまってから、彼女は吐き捨てるように言った。あまりに僕の言ってほしかった言葉を彼女は言ったように思う。彼女は急に溢れ出した涙を拭こうともしないで、バッグを取って、誰もいない教室を出ていくかのように、去っていった。僕は日が沈み、すべてが影に覆われてしまうまでずっとそこにいた。

 あの時、僕と彼女の間には透明なガラスの壁があった。僕はそれを通して彼女を見つめていて、ガラスの存在を意識することさえなく、だからガラスを破ってその皮膚に触れようなどとは決して思わなかった。しかし彼女は、このガラスがガラスの「壁」であることに、僕よりずっと早く気づいたのだ。

 ――夜。
 僕は彼女の手紙を、彼女がその手紙で指定した時刻の直前に読んだ。助けて、なんてものではなくて、むしろ復讐のようなつもりなのだろうとは、その時の僕にもわかった。いや、その時の僕は復讐を望んでいた。彼女がどんなつもりで僕を呼び出したのであれ、それが復讐になることを望んでいたのだ。
 日が沈んでから降り出した雨の中、僕は明かりのまだついている職員室の窓をちらちらと見ながら、正門を越え、それから校庭の端を歩いて一番奥、体育倉庫のそばの木の影にたどり着き、突っ立っていた。雨の傘に当たる音がやけに気になって、僕は傘を閉じた。案外濡れないものだ、と思った。
 彼女は僕に、ただこの時刻にここに来ることだけを要求した。僕は彼女の復讐を受けようと、彼女の指示に従って、どうにでもなればいい、と、木の影に立ってはいたが、見つかってしまっても、それで殴られたり学校に行けなくなったりしても構わないと思った。そう思っていながら、木の影に立ち、傘を閉じたのだが。
 
 体育倉庫の扉を大きな音を出して開け、ビニール傘を差した片山先輩は、僕に気づかなかった。正門に向かって、校庭のど真ん中を歩いて突っ切っていく。木の影を出ると、校庭の闇に、煙草の赤い火が小さく見えた。
 
 開けっ放しの扉から、倉庫の中に入った。何か柔らかく気色の悪いものを踏み、蹴っ飛ばした。暗闇の中、ぼんやりと、高跳び用のマットの上に座りこむ彼女が見えた。彼女のすすり泣く声が聞こえた。無防備な姿勢のままで泣いている彼女の影は、無垢で無知な幼い少女を思わせるものだった。僕は悲惨さと、美しさとを感じた。
 彼女は何も言わずに泣き続けた。世界の全て、あるいは彼女の内部の全て、そういった解消できない不快なもののために泣いている、そんな印象を受けた。あるいはそういう不快さは僕の感じていたもので、僕はそれを彼女の涙に映しだしたのかもしれない。。
 ――ぜんぶおかしい。
 彼女は語り出した。僕が来てから一度も顔を上げず、彼女は語った。僕は静かに頷いた。僕に向けられているものだったと確信することはできなかったけれど。彼女の吐き出すすべてを受け入れたいと思った。
 ――ぜんぶわたしがわるいの。
 ――どうにもできないの。
 ――ねえもう殺してよ。死にたいの。
 ――汚いでしょ、わたしの顔を見て。
 ――もうイヤなの。

 僕が映画のヒーローだったなら、何ができただろう。何を言えただろう。僕がただもう少しだけ大人で、あるいは理性的、せめて冷静でさえ、あったなら。僕はただ手を握り締めて突っ立っているだけだった。涙を流してみせていたかもしれないが、そんなものは彼女には見えなかったであろうし、見えたとして意味のないものであるとは、僕もわかっていたはずだ。
 僕がこの倉庫に入ってから、一時間は過ぎたと思う。やがて彼女は脱ぎ捨てられていた制服をゆったりとした動作で身につけた。一度びくっと痙攣し、太腿のあたりを何かを確かめるように撫でた。 彼女はマットから降り、スカートを整えて、僕の横を通り抜けたた。僕は振り返った。
 体育倉庫を一歩出て、雨に濡れてすぐに彼女は立ち止まった。汗と湿気でぐしゃぐしゃになっていた髪が、しなびていく。彼女が二、三度撫でつけると、髪は真っ直ぐになった。
 僕は彼女を追って倉庫を出た。

カテゴリー:創作.
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