宮崎あおいにつられて見てきたので感想的なものを。ネタバレありますもちろん。

アニメ史、映画史的なものはわからないのだけど、きっと最先端にある映画なんだろうとは思った。アニメにしかできない表現ができているなって感じ。おおかみおとことか、こういう童話みたいな登場人物もアニメ以外で映像化したら相当厳しい……のでは。ファンタジーを映像で描くにはアニメしかないのかもなぁと思った。

内容については、どうしてもネット上の諸議論を踏まえてしまうのだけど。
まず、ヒロインの花は理想的な母親ではない。理想的というのは、信仰の対象となるような母性のことですね。普通の、母親以前に人間である母親です。というかこの作品は母性というよりはむしろ母と子の関係が主題なのではと思った。
花は決して理想化されていない「普通の」母親である。雨や雪を、狼と人間、「どちらも選べるよう」に田舎へと引っ越すわけだが、自由にやれよ、とは決してならず、雪の矯正のようにどちらかというと人間側に傾けようとしている(雪が望んだからというのもあるが)。また雨に対しては、人間のように弱くても構わないといった態度を取っていて、そして彼がいざ狼として独り立ちしようとした時、彼女は必死で彼を人間側に留めようとする。

狼的、野性的な雪を叱り、抑えたのは、「女性らしさ」の教育(のメタファー)でもあるだろう。そうした育て方というのは日常的な母親像におさまるものである。また息子である雨に対する態度は、その弱さを認め不登校も認めながらも、自然に触れさせ山に入れようとする、強くなってほしい、「男性らしく」あってほしいという意識の表れたものである。果たして息子が野生の世界へと行ってしまう時に「まだ子供だ」と述べ、彼の背の高さにハッとしながらも独り出ていった彼を「わたしが守らなきゃ」と正当化して連れ戻しに出るのは、理想的ではない強すぎる母性である。娘や息子に対するこうした思いは、狼人間などのいない現実の社会でも見受けられるものであって、おもしろい。

あと気になるのは、某記事でも指摘されていたが、雨と雪それぞれに対する花の態度の差。おおかみこどもの幼少時、花は雨にばかり優しくし、雪に対しては基本的に叱り(もっと叱ってもいいと思うが)、誉めることはない(少ない?)。雨の方が手のかからない子であったというのもあるにはあるのだろうけれども、溺れた雨を抱き上げた時、そばでぜいぜいと苦しげに呼吸していた雪は悲惨である。また学校に行かなくても叱られない雨に、母親によって女の子らしさの教育を受ける雪が苛々するのも当然であると言えるだろう。一見雪が人間社会を選択したように描かれてはいるが、人間を社会化させるのは常に社会であり親なのだ。これについては雨を人間社会に必死で留めようとした花の態度も示唆的であるように思う。
あと気になるその2は、さっきの某記事でも指摘されていたが、花が雨に亡き父親の面影を見ている点。彼女は、雨が川で溺れた場面やラスト近くで雨に抱きかかえられた時の心象風景に明らかなように、雨によって父親を想起していたし、また彼女は、雨に父親のようになって欲しかったのだ。それは例えば捕獲されている狼に「おおかみおとこはどのように育ったのか」を問うたり、山に入る雨を留めようとしたところから明らかだろう。彼女は雨を、人間の恋愛対象となる「おおかみおとこ」にしたかったのである。実際にそうなったのは人間の恋愛対象となる女性になるよう育てられた雪だったわけであるが。花とおおかみおとことの恋愛、というか子育て以前はあっさり描いていたのに、その恋愛がここまで影を落としているというのは、ちょっとあれかもしれない? のかな?

まとまらない感想を書いたけれど、まあいいなって思った点をあげると、雪の「成長(社会的な)」のリアルさ。「けもののにおいがする」と言われ気にする彼女は少女、女性としてリアルで、いろいろ考えるきっかけになる。花の雨に対する態度も、現実の母親の息子に対する強すぎる母性愛を明視させるもので、おもしろかった。
残念な点をあげれば、「狼は悪者」というのを使い切れてないところか。雨は幼い頃こそそのことに悩んでみせ、伏線かと思いきや普通に狼として生きてしまう(もしかしたら何か描写あったかもだけど覚えてない……)。あと、雪は普通に人間として愛されちゃうみたいですが、これもおもしろくないですよね。草平の母親も含めて母親像はけっこうリアルなのに、若い恋人たちの恋愛は「愛があれば大丈夫」……? 子はいつか親の手を離れるもの、ってのを示すものにはなっているが。

まとめると、けっこうおもしろかったです。ポップコーンが大量に余って大変でした。

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