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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ 土屋政雄 |
語り手が非常に巧み。一人の“信頼できぬ”人間を描ききっている、ように思う。彼女の人間らしさ(提供者ではあるが)は見事。性に関する言説とか、僕も男なので断言できぬが、リアルなんだろうなあ。「魂を揺さぶる」、言い過ぎでないと思った。
僕はSFには詳しくない(何にも詳しくないが)のだが、そのSF的ディストピアな状況の中にいる人間を描ききり、そして主人公たちの行動をすべて無視してその状況の残るまま物語が終わるのは、『1984年』同様のSFの王道。なんだと思う。
考えさせられるのは、彼女たちに「魂がない」というのは本当か、という問題。魂がない、というのは文庫版の400、401ページあたりにある提供者に対する一般人の認識なのだが、確かに、生まれた時から提供者として死ぬことを決められ、それを当然であることとして育った彼らは、一般の人から見れば、魂のない存在に見えるのかもしれない。彼らは、提供者であることに不満を覚えない。提供者でない一般人からすれば、生きようとしない彼らは魂のある人間に見えないのではないか、ということなのだが、このことは現代における諸問題についても様々な示唆を与えてくれる。
例えば、人権が認められるのは「一般人」の視点から見て「魂がある」と認められた人のみではないか。さらに、「魂がある」とはマジョリティによる価値観の押し付けではないか。
生きようとしない彼らを蔑む視線は、切腹を野蛮であるとした西洋の視線を思い起こさせるものである。というのはちょっと具体的すぎるかもしれないが、提供者である彼らは私たちに偏見、マジョリティの視線の恐ろしさを明視させてくれるだろう。マジョリティの視線は、キャシーたちの美しき心の機微を無視し、彼女たちを物として解体し利用するのである。
おもしろい小説だと思いました。以上です。
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