Twitterでフォロワーさんに最近書いてないと言われてしまったので。何か書いてしまった。原稿用紙15枚くらいですかね。あまりおもしろくない。雑。才能とか欲しいですね。

天使とこころ
 彼女は森園典子といった。森さんと呼ばれたり園さんと呼ばれたり、のりちゃんとかてんちゃんとか、そのまま典子とか、いろいろな呼ばれ方が存在していたけれど、結局僕は、彼女のことを森園と呼んだ。これからもたぶん、森園と呼び続けることになるだろう。
 彼女とはサークルがいっしょだった。本流から外れた弱小文芸サークル。だから彼女とは、新入生として歓迎されていた頃からずっといっしょにいた、のだと思われる。というのも、実際に僕が彼女を認識したのは、一学期終わりの飲み会でのことだったのだ。それまでの飲み会やら読書会やら何やらで彼女を認識したことはなかった。僕が自分からものを言ったり異性のいる方に積極的に近づいていくような性格でなかったからだろう。初めて彼女と会話したときは、まぁ、優しい子であるなぁとは思った。高校は男子校で。中学今では男どもとばかり交際していたから、女子に優しくされるというのが新鮮であったのだ。あの時は、それほど長く語らったわけでもなかったし、本当にそれだけだった。
 彼女と知り合って、夏休みが終わり、後期。教職課程の授業のうちの一つで、二人、多くて三人のペアを作れ、という指示を出された。他の奴らが男は男と、女は女とペアを組んでいく中、彼女は隣に座っていた僕に、とても素敵な笑顔で、「いっしょにやらない?」と言った。その時僕は勘違いをした。悪く思われていない。むしろ良く思われているのではないか。もしかしたらいけるのではないか、と。今思えば全く愚かなことで、例えばあの時僕の席に僕以上のクズが座っていたとしても彼女は「いっしょにやらない?」と言ったということはもうわかっているのだが、しかし、女慣れしていない純粋で残念な男どもは、勘違いしてしまうのである。
 そもそも彼女は、それほど美しくない(不細工ではない、決して。どちらかといえばかわいい方である、間違いなく)。だから、女慣れした憎むべき男どもは彼女に目をつけたりしない。彼女を好きになるのはきまって、僕ら側の人間なのである。
 そういう人間は、このサークル内で少なくとも三人いた。僕と、住田と、藤原。三人の中では僕が最もまともであっただろうと自負している(言い換えると、一番平凡であったということだが)。住田は僕と同じく文学部の、まあいわゆる落ちこぼれで、共産主義圏好きで話がおもしろくなく偏食で滑舌の悪い変人。藤原は、経済学部の優秀な学生でありスポーツ万能で見た目も爽やかな青年であり、引きこもりでアニメやらゲームやらばかりの毎日を送る、いわゆるオタクだった。三人とも、とにかく色恋に縁がなかった。僕ら三人、仲良く大学四年生となった今まで、そういった話がまったく皆無だったわけである。
 類が友を呼ぶとはよく言ったもので、僕らはすぐに悪友同士となった。サークルの人々とも、まあ仲良くはやっているが、しかし気楽に物を頼めたり心から語らえるのはこいつらしかいないような気がしている。

 僕ら三人と森園との四人で、飲みに行ったことがある。誰が提案したというわけでもなく、偶然居合わせた四人の中から自然と企画され実行された飲み会だったと記憶している。僕ら三人は皆森園に惚れていたけれど、ライバル意識のようなものはなかったように思う。恥ずかしい例えであるが、彼女は僕らにとって天使のような存在で、汚い言い方であるが、三人のうちの誰かが彼女をものにできるとは思えなかったのである。ただ遠くから見つめているだけでいいという共通認識を僕ら三人は持ったのだ。そうであったからこそ成立した、のかもしれないが、ともかく実に平和な飲み会だった。
 その飲み会の場で、べろべろに酔った藤原はいつになくでかい声で、恋は罪悪だ、と叫んだ。彼がそんなことを言ったのはちょうどサークルの読書会で『こころ』を扱ったばかりであったというのもあったのであろうが、しかし僕の心にはその言葉が、森園に対する意識に関連付けられ、深く刻まれて今も消えないままでいるのである。しかし、僕だけでなく他の二人も、やはり似たような気持ちでいるのではないだろうか。森園典子という存在は、それほど神聖視されていた。少なくとも僕はそう感じてきた。

 そうして僕らは大学四年生になった。何の進展もないままである。先輩は(ほとんど)卒業していき、就活やらなんやらでサークルに出る同級生の友人たちも減って、教育実習を終えた僕は、暇している。そんな、そろそろテスト勉強やらレポートやらに追われなければならない時期の、昨日。
 部室に行くと珍しく同級生の住田がいて、雑誌やら文庫やらの積み重なった机を挟んで後輩の男女一人ずつに何かを語っていた。聞き取れた固有名詞からロシア前衛詩についてだったのだろうが、僕に気づくと住田は話を止めて、やあと挨拶し、後輩たちは苦笑いを浮かべながらさっさと荷物をまとめ、部室を出ていった。住田みたいな輩は僕の知る限り各代に最低一人はいて、僕も後輩だった頃はさっきの後輩たちのようにそういう先輩に絡まれ、妙な話を聞かされて文学や哲学や社会学の、まさにこのサークルのごとく本流から外れた妙な知識をたくさん覚えたのだが、ともかくそういう輩のおかげで部員が増えないのではないかと僕は推測している。それはさておき、住田は珍しく真面目な表情で僕を後輩たちの座っていた場所に座らせた。
「久しぶりだな、同志住田。お前、院試の勉強は進んでるのか?」
 住田の顔もろくに見ぬまま、僕は机の上の雑誌を手に取る。懐かしい、昔は購読さえして読んでいた文芸誌だ。
「んなこたどうでもいいんだよ。それより鈴木、お前」
 続く住田の言葉に、僕は雑誌を置く。
「え……え?」
「やっぱ聞いてなかったか。お前も忙しかったもんな……けっこう良くないらしいよ。一昨日俺が行った時は、まあ元気だったけど、女の子たちには弱音はいてるみたいだし」
 森園さんが入院してるって聞いてるか? と彼は言ったのだ。
「いつから? 良くない、良くないってどういうことだよ」
「二ヶ月前くらいだったかな。良くないというか、なんというか、まあ、白血病だよ」
 住田と出会ってこの三年間、彼の言葉は決して真に受けてはならないと学んだ僕だけれど、その時はもう、泣きそうにさえなった。

 彼女の入院している総合病院の空気はとても重く感じられた。死の重さ。祖父の遺体と対面した時のあの重さ、あれに似ている。
 病人を考慮してなのか、単純に設備が大したことないのか、病院のロビーはあまり空調が効いていない。顔の汗をハンカチで拭いてから、受付の女性に、森園典子さんの見舞い、と告げる。神妙な気持ちでいたのに、いざ彼女の名を口にすると突然気恥ずかしくなって、僕は少しうつむく。
 教えられた部屋の前で立ち止まる。五階の四人部屋。彼女は一番奥のベッドらしい。ここまで来て、急に足がすくむ。やはり、住田か誰かといっしょにくれば良かったんだ。部屋の入り口に置かれた消毒液のスプレーを手にかけて、顔の熱くなるのを抑えることもできないまま、カーテンの閉められたベッドを通り過ぎていく。
「わー、来てくれたの!」
 彼女のところだけカーテンの開いたままだった。そして彼女は僕が彼女を見るよりも早く、大声をあげた。ベッドの上、いつもの彼女がいつもの笑顔で、病院の寝間着を着て体を起こしている。大声をあげられて余計に恥ずかしくなって薄汚れた窓の外をちらっと見ると、空気の悪そうな町並みが広がっている。
「あ、大声出しちゃだめなんだ……」
 そんなことを言う。僕は呆気に取られながら、枕元のぬいぐるみやベッド脇の棚の花瓶の花を見て、手土産を何も持って来なかったことに気づき後悔する。
「あの……意外と、元気そうだね」
「まあねー。あ、いや、健康ではないんだけど……病気のこと、聞いたよね?」
「……うん」
「でも、見てのとおり元気だから……あまり心配しないでね。手術も受けれるし、ぜんぜん、普通に治るんだから。でも、来てくれてありがとー……会いたかったわ」
 これだ。こういうことを言うから、僕は――。
「あの、お土産、なくてごめん」
「え? いいよー別に。来てくれただけで嬉しいよ」
「うん……一昨日は住田が来たんだろ?」
「うん。一年の時の、クラスの子といっしょに来てくれたの」
「あいつ、大学院行くつもりなんだぜ。信じらんないよな」
「うん……でも、鈴木くんも先生になるんでしょ? それも信じられないよ。実習は……どうだった?」
 信じられない、というのももっともである。なんせ自分でも信じられないのだ。人前で話すが大の苦手である僕が、両親に言われたままに「一応」教員免許を取得し、惰性で教員になってしまおうとしているのだ。
「うん、まあまあ……子どもたちの相手は、思ったよりもできそうだよ。むしろ先生たちの方がこわかった。板書が汚いって言われてさ、放課後ずっと練習させられた」
 森園は? 聞きそうになって、あわててやめる。森園は僕や住田よりもずっと成績優秀な文学部生であり、また僕の何倍も器用に教職課程の単位を取得してきたけれど、入院したのが二カ月前ということは、教育実習に行くことはできなかったのだろう。後期に行けるのか、また来年ということになるのか。
「だめだよそれじゃあ。先生は、同僚とか生徒の親ともうまくやっていかなきゃいけないのよ」
「まあ、ね」
 汗はひいた。この部屋は、決して涼しいとは言えないけれども、ロビーよりは空調が効いている。僕はベッドと窓のある壁の間の窮屈なスペースに置かれた椅子に座った。森園との距離が近くなる……毎日のように会っていた頃はこれくらいの距離なら普通に耐えられたけれど、久しぶりなもので、少しどきどきする。
 森園は大きな欠伸を手で覆いながら、頭を後ろの壁につけた。それから目元を拭う。
「ずっと寝てると体力が落ちちゃうのよ……体重も落ちてるよ、きっと」
「……うん」
 片手で目元を押さえながらもう片方の手で、足にだけ掛かっていた薄そうな掛け布団を胸元まで引き寄せた彼女を、そっと観察する。そして、その顔色の悪さに今さら気づく。血の気のない、不健康な白さに。背中の中程くらいまであって、いつも何らかの形で結われていた少し癖のある髪はその半分くらいの長さに切られていて、結われたりもせず櫛を入れた様子さえなく、やつれるままになっていた。
「ねぇ」
 彼女の声だと信じられないくらいに低く、小さな声だった。彼女は細い腕で目元を押さえ続けている。僕は彼女の続く言葉を聞き逃さぬよう、耳をすませる。
 代わりに聞こえたのは、彼女のすすり泣く声だった。

 しばらく、病院のロビーにいた。つまりは、逃げたのだ。僕は頭を抱える。ただ慣れただけで、成長のできていない自分に落胆する。缶ジュースが空になる。何分経っただろう。外が夕暮れ色に変わっている。
 住田と藤原の影を頭から追い払った。あいつらは、確かに気のおけぬ友人だけれども、ここで頼るのは、何か違う。そう感じた。僕は彼らといっしょにいすぎた。
 僕は、彼女と一対一で向き合いたいと思った。彼女が病気だから。そういうわけじゃない。ただそういう頃合いなのだと感じる。今が進む時なのだ、その先がどのようなものであれ、きっと。

「ごめん」
 部屋に戻って彼女のそばに立ってすぐ、僕は謝った。彼女は目をつぶって横になっていたけれど、僕の声に目を開き、ん、と声を出した。
「ううん……わたしこそごめん。ちょっと……」
 起き上がろうとする彼女を、いいよ、と止める。それでも彼女は体を起こした。大きく息を吐き出してから、僕に微笑みかける。
「ごめんね。ちょっと、まいっちゃって。寝てるだけってのも、きついのよ」
「うん」
「鈴木くん――あの、お願いがあるの」
 珍しい、と思った。僕は森園が誰かを頼るところを見たことがなかった。ノートを見せてくれとか、レポートのネタをくれとか、お願い事をするのはいつも僕の方だった。酔いつぶれたりするのもいつも僕だったし、仕事ができるのも彼女の方だし……彼女がいかに強い人であったかを、今さら気づかされる。そして、病気がいかに彼女を弱らせているのかを、思い知らされる。
 どうしたの、と僕が尋ねると、彼女は僕を見ないまま、ぼそぼそと、呟くように、藤原くんに会いたいの、と言った。
「……藤原?」
「うん……あの、藤原くんだけ、まだ来てくれてないから」
 彼女は視線を下ろしたままでいる。
 僕は、彼女の気持ちに、気づく。
 うん、わかった、ちょっと待ってて、と言って病室を出た僕は、思わず笑ってしまう。なぜ今まで気づかなかったのか。気づきたくなかったからだろう。いろいろなことを思い出す。彼女の言葉や、行動や、仕草。いくらでも、いくらでも思い当たる。
 どうしようかな、と呟いたのは心の中でだろうか。もしかしたら口から漏れていたかもしれない。非常階段の踊場に出て、ポケットから携帯電話を取り出し、電源を入れる。
 彼女のために。
 ふと目をやると日はほとんど沈んでいて、汚い町は影になっている。遠くの方へ消えていこうとする橙色。こいつを、この携帯を、あの向こうに投げ飛ばしてしまいたい、そんな衝動にかられる。
 彼女のためだ。
 届かないと、最初からわかっていたはずなのに。わかっていながら、諦めきれていなかった。好きだと伝える予定もなかった。なのに僕は、この先を望んでいた。あまりに、あまりに――。
 僕は藤原に電話をかける。いつもなら気楽にかけられる相手なのに、今は、今すぐにでも切ってしまいたい。何も、何も話したくない。
 もしもし?
 聞き慣れた、藤原の声。低く、気だるげな声。
「おう、久しぶり」
 どうしたんだよ。お前と違って俺は忙しいぞ。
「就活か?」
 そ。県庁の面接が近いの。どうしたんだよ?
 僕は、一度息を吐き出す。森園、と一度言って言葉に詰まり、もう一度言いなおす。
「森園――森園が入院してる、って、聞いてるか?」
 知ってるよ。藤原はそう言った。
 森園からメールが来たんだ。入院してる、暇、最近どう、ってな。
「それで……」

 何も考えられなくなった。

「なんで来ねえんだよ」
 忙しいって言ってんだろ? 藤原は気だるげに言う。
 僕は通話を切った。そのまま携帯を投げ飛ばしそうになるのを抑えて、そして、金属の床に叩き付ける。非常階段の振動するのを感じた。それを拾い上げポケットにしまう。そして病棟に戻る。
 怒りと、罪悪感――自分に向かうべき怒りと、彼女に対する罪悪感――藤原に対する罪悪感もだ。重くなる歩みを止め、僕は壁に寄りかかる。暗めの廊下は静まり返っている。息を大きく吐き出す。そして再び、僕は彼女の元に向かう。

カテゴリー:創作.
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