どうも、月曜日が休日のゆとり文系学生です。
休日ということで、新海誠の最新作『星を追う子ども』を観てきました。平日なだけあって五人くらいしかいなくて楽だったのですが、ポップコーンをかじる音が目立ってましたね……。
というわけで映画もアニメもろくに見ない僕の適当な感想です。いつもの百倍ネタバレ、めちゃくちゃネタバレなのでお気をつけください。あと、セリフとかけっこううろ覚えです。

のどかな日本の田舎、線路の上を歩くシーンで映画は始まり、日常は謎の化物と異世界から来た人間離れした能力を持つイケメン少年によってぶっこわされ、少女はその少年に恋に落ちる……。ここまでは実に典型的な展開ですが、その後あっさり、その少年が死ぬ。その死から、物語が始まると言ってもよいのかもしれない。この映画は、ヒーローの死後の物語なのである。
このヒーロー、シュン君といいますが、彼は少女に「アガルタから来た」と語ります、星空を見上げながら。そして、星空に手を伸ばし届きそうだ、等と言いながら死にます。普通、宇宙人だと思いますよね。地底人でした、というわけで少女はなぞめいた先生と共に地下に潜っていきます。

この地下世界アガルタは、道場人物たちを日常から連れてくるにしてはなかなか深く造りこまれた世界で、すげーと思いました。この滅びゆく地下世界は宮崎駿的というか原作ナウシカ的というかシュナの旅的で、特に崖を下るくだりや登場する化物なんかはシュナの旅的であったなーと僕は思いました。生死の門へと至る道なんかは、ゲド戦記の『さいはての島へ』の「世界の果て」を思い出しますよね。イ族という「影」を恐れてみたりもね。うろ覚えですけどゲド戦記は。

さて、生の死の意味を悟りすぎたから滅びゆく、的なことをシン君が言っていた(メチャクチャうろ覚え)。まあ、もっとガツガツ生きろよ、ということではなかろうか。そんな簡単に死ぬと滅びるぜ、と彼は言っているのである、きっと。そしてそれは死んだ人間を悼み、求め、とらわれ続けるのとは違う。奥さんは復活しかけましたが。某錬金術師漫画を読んだ身としては「どうせ失敗すんだろ」といった感じでしたが、成功しましたね。しかし再び彼女は「死」にます。それはシン君の「生きてるやつが〜」的なセリフによるもので、まあぶっちゃけ聞き取れなかったんですが、なんて言ってたんでしょうね。

ラスト、日常の住人たちは日常へと帰った。線路を歩かせりゃいいのにとは思ったが、そこらへんはあっさりお家に帰り、完全な日常に戻ったアスナを描写してみせた。そう思えば、案外地下世界の旅はあっという間のあっさりとした出来事である。何日間だったのかはよくわからないが、リュックサックの食料でなんとかなった程度の日数+数晩程度だと思うのだが……一週間くらいなのかな。お疲れ様です。

ところで星ってなんだったんだろう。「子ども」の追った星は。

まぁひとつはシュン君の追った文字通り地上世界の「星」じゃないかなと思う、「少年は憧れ、少女は旅立つ」といキャッチコピーから。しかしところで、アスナの旅の理由は実に曖昧である。キャッチコピーには「それは、”さよなら”を言うための旅」とあるが……最後の最後になって「寂しかったから」的なことを彼女は言ったが、要はなんとなく異世界へつっこんでいったのである。「何かを求めて」、といったところだったのではないだろうか。星ってのは、その「何か」のことじゃねえかなと思いますね。シン君は、今後どうするのだろう。アスナはやはりシュン君好きなようで、シン君は救われない感じで映画終わっちゃったけど……。

序盤の二人手を繋いででっかい穴にダイブする姿はラピュタwwって感じで、最後に先生があてつけのごとく視力を失ったのにもクスッときた。しかし、僕の妄想するにこの映画はジブリ的アニメへの皮肉だ。超現代文明であるラピュタを求めたムスカの願いは「世界征服」という実に「漫画的」なものだった。対して今作でアガルタを求めた先生の願いは「死んだ奥さんを生き返らせる」という「文学的」なものであるのである……。

追記:アスナのお父さんはアガルタの人だって気づきました? 僕は一晩たってようやく気づきました。そこらへん、意識して見直したらまたおもしろそう。アガルタの婆ちゃんの言ってたシン君と似ている「未熟」な男とか……すぐに読み返せないのが映画の悪いところだ!

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