男もすなる日記といふものを・・・・・・といえば紀貫之の土佐日記ですよ。紀貫之は竹取物語の作者なんじゃないかって説があるんですよね。竹取物語もですが平安期の文学は意外に反体制的なものが多いような気がします。貴族であれば反体制を唱えようと自由だったんでしょうかね?

竹取物語は日本の古典文学の代表格として名高い源氏物語でも「物語の出で来はじめの祖」と言及される、現存する日本最古の物語。竹から生まれた美しい女性が月へ昇っていく、という話ですが、けっこうロマンチックで現代に通ずるものがあるんですよね。それは恋愛のことだけでなく、例えば僕の好きな場面、かぐや姫が月へ帰らなければならないことを告白するところ、絶対に月へ行かせはしないという翁に、かぐや姫は「私が死んでしまいたい」と言うんです。いやぁロマンチックですよねぇ。

さて、男である以上気になる点が一つあるんですよ。かぐや姫が月へ昇天するシーンですよ。ここらへんはちょっとわかりにくい場面なんですけど、かぐや姫は「脱ぎおく衣(きぬ)を形見と見たまへ。」とおっしゃいます。つまり着物を脱いでいくから、形見にしろと。そのあと、「少し形見とて脱ぎおく衣に包まむとすれば」、不死の秘薬を脱いだ着物に包もうとするんです。脱いだ着物が手元にあるということですよね? このときは月の者に止められてそのあとふつうに帝への手紙に秘薬をしのばせているのも不思議ですけど、この手元にあった着物が気になります。今脱いだの? ってことです。この後かぐや姫がいきなり天の羽衣を着て月へ昇ってゆきますが、この天の羽衣がどういうものなのかわからないですけど、着物の上からは着ないよね・・・・・・?

そんなことはどうでもいいとして、この月への昇天のシーンは幻想的でものすごく美しく、しかも描写が細かく読んですぐに情景の想像できるすばらしい表現力。問題集で読んだときは感動しました。そしてこの後の帝が実にかっこいい。
「会ふこともなみだに浮かぶわが身には死なぬ薬もなににかはせむ」
もうかぐや姫に会うこともできず、自ら流した涙に浮かんでいるようなわが身には、不死の薬が何になるというのか、と、短歌に詠んだんですよ。恋が叶わないならではなく、かぐや姫に会えないなら不死なんか意味ないと。権力の頂点に立つ人物とは思えない愛し方ですよね。かくして秘薬は「駿河の国にあるなる山」のてっぺんで燃やされ、その山は富士の山と呼ぶようになったと締めくくられます。

何が反体制的かというと「蓬莱の玉の枝」における藤原不比等(そういや日本史で習ったぞ!)をモデルとしているであろう人物が卑劣な悪人として描かれている点。まぁそんなことはどうでもいいんです。1000年以上も昔に書かれた物語でありながら人間の有限性、弱さを見事に描き、そして激しい恋情を描き、悲哀な心情を細かく表現しきっているところがすごいんです。恋愛は古代より続く文学のテーマですけど、この時期にはもうここまで清廉されていたんですね。

ちなみに、導入が紀貫之の土佐日記なのは普通にぐだぐだな日記を書こうとしてたからです。540度くらい方向性が変わったんです。以上!

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