Jan 26

あるいは意図された誤配――岩井俊二『ラストレター』

2020年1月26日 朝霧

一見さわやかな物語である。福山雅治演じる売れない小説家乙坂が、かつての恋人未咲やその妹裕里との高校時代の恋愛沙汰を思い出し、未咲の娘鮎美ともども未咲の自殺を乗り越え、小説家として再出発する――表向きは、そのような物語だ。しかし、岩井俊二が、そんな、爽やかなだけの、救いだけの映画を、撮るだろうか。

キーアイテムとなるのが手紙である。本当は自殺したばかりの姉未咲が出るはずだった同窓会で、なりゆきから初恋の相手である乙坂と「未咲として」再開してしまった裕里は、夫に浮気と疑われるのを嫌い、差出元の住所のない手紙を乙坂に送る。乙坂は卒業アルバムを開き、未咲の実家に返事を送る。それを鮎美が受け取り、「おもしろくない」との理由で、未咲として返事を書く――私のこと、どれくらい覚えていますか、と、そのようなことを。そうした手紙の「誤配」が重なって物語は進んでいく。

最終的には、同窓会や手紙のやり取りの中で未咲のことを思い出し、彼女の元夫とも出会いつつ、乙坂はかつて未咲と通った高校へ行く。そこで、孫として過ごしている鮎美と颯香(裕里の娘)と出会う。鮎美と颯香を演じるのは高校時代の未咲と裕里と同じく広瀬すずと森七菜であり、彼の感じた過去と現在の重なりを、観客も体感することになる。未咲に線香を捧げ、乙坂は東京へと帰っていく。

しかし、この表向き爽やかな物語の裏側に、暗い世界が広がっている。

姉宛の同窓会のお知らせを裕里に託したのは、鮎美であった。それがきっかけとなり、裕里は同窓会へ赴き、そのことで乙坂と再開した。そして、乙坂が返事を求め未咲の実家に返事を送ると鮎美は、ただ母の自殺を知らせるのではなく、それでは「おもしろくない」と笑って、母の代わりに返事を書く。ついに乙坂と学校で出会うと、「乙坂鏡太郎さんですか」と鮎美はその名を呼ぶ。まるで、彼の来訪を予期していたかのように。鮎美が乙坂を家に呼ぶ(裕里は多少ひきぎみである)と、なぜかうまいことに祖父母は家にいない。大学時代の母の遺影(これも広瀬すずである)の前で鮎美は乙坂に、母が自殺したことを語り、そのあとの「初対面の人にこんなこと」と言って笑うその台詞の取って付けたような感じ、笑いのうさんくささも気になるのだが、その上で、「なんでもっと早く来てくれなかったんですか」と突きつける。

最後に乙坂に明かすように、鮎美は母と乙坂の手紙をすべて読んでいた。乙坂が幅をモデルにした小説も読んでいた。鮎美だけが、すべてを知っていた(例えば裕里は高校時代の未咲宛の手紙は読んでいたが小説の存在は知らなかった)。

これはもしかして、すべて、鮎美によって、ただ母と娘の恨みを、助けに来ることもなかった乙坂への恨みを、乙坂が亭主であり父親となっていたかもしれないその可能性への恨みを、母の遺影の前で晴らすために、意図された誤配の物語だったのではないか?

思えば鮎美はとにかく内面が見えてこない。父からの虐待や母の自殺に涙は見せず、意味深な表情で川の流れを見つめるのみである。「おもしろくないから」と笑って死んだばかりの母の代わりに手紙を書き、颯香の恋愛の悩みに大笑いする。彼女の笑いには、しかし、悪意を読み取ることもできる。乙坂に、未咲と裕里と過ごした過去を現在のものとして突きつけるために利用される颯香の、恋愛の悩みの「しょうもなさ」を、鮎美は嘲笑したのではないか?

そしてまた、「ラストレター」、映画の終わりに開封される未咲の遺書も恐ろしい。鮎美宛の封筒の中には、古びた原稿用紙が入っている。それは、卒業式で未咲の読んだ答辞なのだ。同じく広瀬すず演じる、未咲が卒業式で答辞を読み上げる声と、鮎美がその答辞=遺書を読み上げる声が重なる。それと同時に、画面は映画冒頭の、滝や川の流れを鮎美が見つめ、颯香と弟がはしゃぐシーンを映す。鮎美は、下流側から、滝を見つめている。それは、時を遡行し、その断絶――未咲と乙坂の別れを見つめているようでもある。冒頭のシーンと重なる、未開封だったはずの――鮎美は裕里に、「開けてません。開けられてません」と、決まり文句のような台詞を吐く――遺書の読み上げが重なる……鮎美は、冒頭のシーンで既に、遺書の中身を知っていたのではないか? そう思わせもする演出だ。高校時代の答辞――それは乙坂の添削したものだ――が遺書となる。高校時代、乙坂との過ごした日々で、時の止まってしまった母。その恨みを晴らそうと、あるいは伝えようと、すべてを作為的に行っていたとすれば……悲しく、暗い物語である。

以下メモ
・そもそも乙坂は、本当に未咲と付き合っていたのか? 未咲は乙坂からの手紙を保管しているが、乙坂の方に未咲からの手紙が残っていたという描写はない。あるいは、高校時代以上には、二人は接近しなかったのではないか?
・乙坂は別れ際に三度サインを記す。『未咲』というタイトルの本に記されるこのサインは、あるいは小説を完結させるものなのかもしれない。そして、サインは、必ず別れ際に行われる。
・未咲……未だ咲かず。

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Nov 14

落書きに泣く――『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』

2019年11月14日 朝霧

私たちは、この点と線に共感できる。

映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』、お子様と親子に囲まれて見てきた。普通に泣けたし、周りの子や親が泣いているということ、人間が絵やぬいぐるみに共感して優しさを、愛を差し出せるということに泣けた。

ネタバレをしてしまえば、絵本の世界に入った「すみっコたち」が、絵本に描かれたキャラクターたちと交流し、その中に白紙のページにポツンと「落書き」されたキャラクターがいて、そのキャラクターを絵本の外に連れ出そうとするが、絵本の外に絵本に描かれたキャラクターは出られない。その「落書き」の孤独に涙した「すみっコたち」は、その白紙のページに家や仲間たちを描く……というようなストーリー。

この映画の「落書き」に共感して優しさや愛を差し出す「すみっコたち」の在り方と、「すみっコたち」に共感して優しさや愛を差し出す(最近は「すみっコ」を発見して世話をするゲームもあるらしい。欲しい)ことのできる私たちの在り方が重なるという意味でメタ的な構造をもった映画であったわけだ。作中では「マッチ売りの少女」「人魚姫」「赤ずきん」等々、幼い頃に読んだ物語が引用されていたが、今思えば、あれらの悲惨な物語もまた、子供たちの共感能力を育み得るものであろう。人間は奇妙にも、子供にキャラクターへの共感を期待するようである。

私が泣いたのはそこであった。

さらに言えば、すみっコぐらしのキャラクターはそもそも「落書き」から生まれている(「すみっコぐらし原点は落書き かわいそうなかわいさ共感」)。
制作の裏話を知っている私たち「すみっコぐらし」ファンには、その二重性もまた泣けた。

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Jul 29

「恋愛しないので」――田島列島『水は海に向かって流れる』1巻

2019年7月29日 朝霧

田島列島『水は海に向かって流れる』

とりあえず1巻。

久々に読むのに時間のかかる漫画を読んだ。薄味の画風には嫌味がなくいつまでも見ていられる。なぜ見ているのかといえば、画力がすごいとか、描き込みがすごいとか、そうした凄さというのは私には判断できず、そうではなくて、画と台詞による巧みな心理描写に心打たれ、ページをめくれなくなってしまうのである。ページをめくれない……これこそ本の醍醐味である。

しかし、ヒロインの「26歳OL」という設定の美しさよ。若すぎず、かといって妙齢の女性が、「恋愛しないので」と呟くその後ろ姿よ。それでいて主人公の高校生男子や周囲には恋愛の主体/客体として見られてしまう(「〜の彼女かな」、あるいは近寄られて赤面する主人公)。あるいは、恋愛というものは、望むと望まざるとにかかわらず、参加させられる、あるいは舞台にのせられる、そういうものなのかもしれない。これもまた恋愛の苦しさの一側面であり、場合によってはこれは、希望でもあるだろうが、仮にこの漫画の物語にハッピーエンドが待っているとして、それは恋愛によるものなのか、それとも恋愛から離れたところにあるのか、どちらにせよ先の楽しみな漫画である。

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Jan 04

男子は友人を知らない——米澤穂信『本と鍵の季節』

2019年1月4日 朝霧

 女子どうしの友情と比べると、男子どうしの友情は淡泊なものに見える。身体的接触は少なく、余程のことがなければ贈り物なんてしないし、電話で雑談なんてしないし、たとえ親友であったとしても、年に数回会えば十分だと感じていたりする。そして、友人について知っていることは、かなり限られている。

 『本と鍵の季節』はいわゆるミステリーだが、読んでいればなんとなく答えを察することのできる謎ばかり、「探偵」による解明もあっさりで、解き甲斐のある大きな謎が出てくるわけではない(ミステリー読者にとって解き甲斐のある謎というものがどういうものなのか、私にはわからないのだが……)。主題はむしろ、男子どうしの、一見淡泊なその友情にある。主人公は図書委員である二人の高校生男子だが、クラスの違う二人が図書室で会うのは週に一度。外で会うのは用事のある時や謎を解明するのに必要な時だけで、遊びに行ったというような描写はない。
 しかし、では、二人は仲が悪いのだろうか。男子たる私には、そうではないと言い切れる。むしろ、信頼し合い、友情を疑うべくもなくなって初めて、淡泊な付き合いをし続けられるようになるのだ。自分の知らない一面をまざまざと見せつけられようとも、友達であり続けられるようになるのだ、と二人の男子高校生の物語に、再認識させられた。

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