引用できるところのない名作。学校にはない社会人の青春。
プレーンソング / 保坂和志
牧野真莉愛 写真集 マリア17歳 / 西田幸樹
外に出しても恥ずかしくない(笑)ハロプロの誇る美少女の写真集。体育館体育着三つ編みが高ポイント。
Tango: Zero Hour / Astor Piazzolla
叙情的なタイトルにふさわしいピアソラのアルバム。〈Tanguedia III〉〈Milonga del Angel〉〈Michelangelo ’70〉が特に名演。
外国語上達法 / 千野栄一
語学でもやってみようかなと思い立ったときに読む本。語学の道の険しさと空しさと加減を教えてくれる(“「先生、語学が上達するのに必要なものはなんでしょうか」「それは二つ、お金と時間」”“必要もないのにいくつもの外国語ができるというのは罪悪である”)。しかし一方で、英語やフランス語や中国語ではなくマイナーな言語をやろうというときには基本となるチップスが含まれているかも(私にそのつもりはないが)。
バグダッド・カフェ / パーシー・アドロン
車が出てきてルート66で完全にロードムービーかと思いきやがっちり居場所を手に入れちゃうという非アメリカ感が見所か。トワイライトの色が異様に美しい。
四月は君の嘘 / 新城毅彦
広瀬すず目当てで観たが、やはり名女優。原作の良さは語るに及ばず、脚本もよくまとまってるが、映画の演奏は想像の音を超えない……(しかし演奏シーンはよく撮れてる……)。
四方対象 / グレアム・ハーマン、岡嶋隆佑監訳
素人が素人なりに哲学書を読む際の常で、とにかく問題意識を共有できない! が、とりあえずわかりやすい本であり翻訳であるということはわかる。ハーマンの対象指向存在論とは、基本的にはフッサールやハイデガーの読み直し(修正)によるカント以来の人間中心主義、あるいは人間と世界による二者支配的哲学へのアンチテーゼなのだろうが、カントもフッサールもハイデガーも読んでないのでとにかく問題意識を共有できない、が、そういう潮流があるらしいという話は聞いており、人間中心主義、人間と世界主義的な哲学をひっくり返せるというのなら、確かにおもしろい潮流である。しかし、私には関係ない話だなというのが正直なところ(なぜ読んだのか)。
ゲド戦記 / アーシュラ・K・ル=グウィン
物語の中の物語、ファンタジーの中のファンタジー。つくづく、体系を創り出すに熟達した作家である(そしてそれは壮大な哲学の隠喩でもある)。
飛ぶ教室 / エーリヒ・ケストナー
美しく理想的な教室、子供、教師たち(“教師ってものにはな、変化する能力を維持するすごく重い義務と責任があるんだ”!)。不思議なまえがきとあとがき。美しい物語に、確かに忍び寄っている戦争の影(“勇気ある人々がかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。”“平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある。”)。
生田絵梨花写真集 転調 / 細居幸次郎
被写体もロケ地(ドイツ)も美しく、個人的なドイツへの思い入れもあり、大変良い。ケルン大聖堂前の私服の写真なんかがリアル(?)。
イリヤの空、UFOの夏 / 秋山瑞人
そこには少しの爽やかさもない。やたらと多い不味そうな食事と苦痛の描写。ヒロインは度々鼻血を流し、中華丼を髪の毛ごと食べ、病む。主人公はオカルトオタクで、度々トイレに行き、オナニーし、何も成し遂げない。そして突き落とすようなエンディング。しかしそれらは、僕らが青春ライトノベルを読む、そのもののエグさのようでもある。突き落とされた後も、彼と僕らは生きなければならない。
海すずめ / 大森研一
魔法使いの弟子 / ジョルジュ・バタイユ
“このように三つに分裂してしまった実存など、もう実存であることをやめてしまっているのだ。それはもはや芸術か学問か政治にすぎず、実存ではない。かつて野蛮な単純さによって人間に対する支配がごり押しされていた社会に、今や学者、政治家、芸術家しかいないのだ。実存を諦めて何かに役立つ機能になるということが、これら三領域の人々によって同意された条件なのである。”
日の名残り / カズオ・イシグロ
物語は記憶を矯正し位置づける。記憶は物語を捏造しそこからはみ出る。
『日の名残り』の主人公の執事スティーブンスに焦点化された一人称の語り手はロッジ『小説の技巧』においていわゆる「信頼できない語り手」の例として挙げられているが、彼の信頼のできなさは、記憶と物語(書かれたものに限らず、巷にはびこるあらゆる物語)の信頼のできなさである。記憶と物語(の欲望)に忠実なこの語り手は、ある意味では非常に信頼に足る。そして、記憶と物語の信頼のできなさ(と自身のジョークのつまらなさ)を、物語ることによって知った語り手の、(「斜陽」物語を裏切る)ささやかな未来=ジョーク。
WINDOW / Drop’s
キュートな見た目を裏切って懐かしい渋いサウンドと迫力ある歌声が染みる。
台風クラブ / 相米慎二
ヤバい絵面満載の傑作青春カルトムービー。酒もセックスもなく(煙草はあるが)「ヘン」になってしまった少年少女たち。
祖谷物語 / 蔦哲一朗
涙の出る美しさ。とにかく緑が美しい。田舎で過ごしているときと都会で過ごしているときで人の顔は変わるものだが、武田玲奈は見事に田舎と都会を演じている。
Helpless / 青山真治
かっこよくおもしろいバイオレンス。映画は歩いてるだけでもかっこいいからズルい。
共喰い / 青山真治
さすがにおもしろい。菅田将暉と篠原ゆき子が良い演技をしている。セックスの持つ宿命的な可笑しみ。
シェル・コレクター / 坪田義史
悲しくなるほどつまらない。あまりにもステレオタイプな登場人物たちと聞き覚えのある物語で、何か痛烈な仕掛けがあるに違いないと信じて観ていたが、絵としてちょっと綺麗なだけのクソみたいなエンディング。
おとぎ話みたい / 山戸結希
傑作。山戸結希の書く、「哲学的」と呼ばれる独特の台詞、どこか、無理をして難しい言葉を使っているという感じがあり、『5つ数えれば君の夢』を観たときには苦手だなぁと思ったのだが、しかし「少女」というテーマをはっきり打ち出している『おとぎ話みたい』では、「少女」の不安定さ、たどたどしさ、イタさとその「哲学的」な無理な語り方が完全にマッチしている。思えば『5つ数えれば君の夢』も「少女」モノだったわけで、そういう見方をできてれば、山戸の脚本をもっと深く楽しめたんだろうなぁと今更思う。後に観た山戸のデビュー作『あの娘が海辺で踊ってる』も然り。映像も天才的。暗い田舎道をはしゃいで踊りながら歩くヒロインの「少女」的不安定さ、それを捉えるカメラさえも「少女」めいていて美しい。
オーバー・フェンス / 山下敦弘
原作者・佐藤泰志を感じる良い映画。蒼井優の見事な演技。しかし、映画から離れるが、こんな救いのある小説を書きながら、彼が結局は自殺したことを思うと、きつい気分になる。
風切羽 / 小澤雅人
母(母は増殖する。母の行動をなぞる姉、母の身体(強調される胸、生理)に近づく自分)=自分から逃げる(街の多くの人間に知られている)女と自分を探す(街の人間は誰も知らない)男が夜の街を自転車二人乗りで走る。そして最後には父親を殺す。フラッシュバックとして描かれる幼少時代の虐待や施設のシビアな人間関係はキツく、街の明かりの描写(立ち並ぶマンションの窓の明かり、自分はそのどれかであってもいいはずなのに……と私自身も抱いたことのあるあの感情)や二人の会話はエモく、なかなか良い映画なのだが、終わり方はふーんという感じ。
15才 / 前田憂佳, 根本好伸
死を感じる。例えば開いた瓶、散らばる貝殻の側で横たわる前田憂佳……。
夜行 / 森見登美彦
エンターテイメントとしての質は高いのだろうが……。いつも森見登美彦をおもしろく読めるのであればおもしろく読めるだろう。森見登美彦を超えるものはない。
ユリシーズの瞳 / テオ・アンゲロプロス
映画自体も傑作なのだが、池澤夏樹のつけた邦訳字幕が光っている。“ここが終点と思っていても おかしなことに いつもいつも 終わりが始まりだ”
断片的なものの社会学 / 岸政彦
社会学ではなく、社会学についての本という印象。社会学というものには冷たいといったイメージを持っていたが、そして実際に冷たい(本書の言葉では「暴力」か)のだが、その芯にある人間性を感じさせる本。「セクハラヤジ」を受けた女性議員のかすかな「笑い」への鋭く暖かな視線は特に印象的。しかし、ただの良い本、でもある。
海街diary / 是枝裕和
何か事件が起きるのでなく物語が、映画が進む。ただ人々の関係が物語を作り、美しい俳優たちが映画を作っている。
書くことについて / スティーブン・キング, 田村義進訳
村上春樹の元ネタの一つ(?)。推敲の例がすばらしい。長い。
路面電車 / クロード・シモン,平岡篤頼訳
老熟した作家の、老熟した作家にしか書けない小説。
挟み撃ち / 後藤明生
物語でなく細部で読ませるおもしろさ。そし最後の段落が見事、見事な構成で、感動的でさえある。
百円の恋 / 武正晴
最高。基本的に全部良いのだが、演技だけでなく肉体からクライマックスに向かっていく安藤サクラがすごすぎるし、エンディングのクリープハイプがまた良い。見終えたときの高揚感よ。