海に反射した太陽の光が、病室に降りそそぐ。彼女の寝ているベッドは、カーテンによって窓から遮られていて、暗かった。彼女は毛布をはだけて、うつ伏せに寝ていた。左腕にはガーゼが貼ってある。今日の点滴は終わったらしい。彼女はちらっと僕を見て、枕元にある懐中時計を見たあと、背中掻いて、と言った。
 僕は彼女の着ている薄い服の上から、彼女の指定した場所を擦る。彼女は気持ち良さそうに笑い、点滴が思っていたより痛いという、僕が何度も聞かされた話をする。僕も笑って、彼女が退院した後の予定を話す。
 彼女は、ありがとう、と言った。彼女が入院してから、初めて聞いた言葉だった。彼女はそれきり黙った。僕は彼女の服から、静かに手を離した。

 窓際の患者が見ているテレビの音だけが響く病室に、鋭い夕日が差す。彼女の眠っていた白いベッドは静かに冷えきっていて、次の使用者を待ち構えている。僕は彼女が忘れていった小さな懐中時計をコートのポケットにしまい、病室を出る。
 目をつぶればすぐに彼女が浮かび、涙腺が緩む。病院の屋上には白いシーツや患者の服がたくさん干してあって、ちょうど看護婦さんが片付けているところだった。いつもより時間が遅れているのだろう、看護婦さんは慌てて見えた。仕方もない。彼女の発作は、彼女の死は、本当に予想できるものではなかった。彼女は……。
 彼女の言葉が、頭の奥で鳴る。彼女の姿は、涙でさえも流せない。彼女を失った、ということの意味が、一気に頭に流れこむ。彼女の名前を呟く。何度せがまれても結局一度も呼び捨てにできなかった、綺麗な名前。まだ赤い空に、星が浮かぶ。彼女はあの星を見てきっと、慌て者、って――呟くんだ。



TOP